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第8回 蜂蜜エッセイ応募作品

蜂蜜ファン

山口 絹代

 

 小学校に入学前、子供たちの間で流行した大腸炎に罹患した。抗生物質という特効薬のない時代、多くの子供たちは死んでいったという。
 ただ一人の生き残りが私で、両親と医師の必至の看護があったからだと聞かされているが、私の記憶は全くこの部分は脱落している。
 医師は父の友人で、我家に泊まり込み、容態の急変を見守ってくれたそうだが、大嫌いな注射をされることで逃げ回った記憶だけは確かに残存している。
 小康状態になり、飲まされたのが重湯を経て蜂蜜だった。
スプーン一杯を滋養として、また、薬を飲んだご褒美として、お白湯で薄めて与えられたのが、蜂蜜と私の最初の出会いである。
 戦時中は、甘味料の乏しい時代だったので、病気をすれば飲める美味しい飲み物として私は病気になりたいと思ったことさえあった。
 田舎の蓮華畑や菜の花畑の中に立っている幾つかの、木の巣箱に群がっている蜜蜂を見て、あの甘い美味しい蜂蜜がどうして採れるのかが、長い間子供心に疑問としてわだかまっていたが、第二次世界大戦の頃には、巣箱は回収され見ることもなくなった。
 長い時を経て、中年となり私と蜂蜜の縁は復活した。
子育て中に心不全という大病で、手伝いに来てくれた実家の母が「蜂蜜を飲みなさい。滋養をつけて、体力を回復しないと、お前が元気がないと子供たちも可哀そうだし、再々親の出番になるのも困る」と嘆いたのがきっかけだった。
 退院後に三十七キロで活力もでない日々も徐々に好転して、再び体力も戻ってきた。
 転勤族だった我家も、子供たちの高校卒業頃には、大阪に留まることとなり気苦労の一つは解消したこともあるが、蜂蜜は継続は力ともなったと思っている。
 今年は九十歳「どうしてそんなにお元気なの?」と私の昔を知る友人たちによく言われているが、即座に「蜂蜜のおかげよ」と答えている。サプリなど出回っていても、私は蜂蜜族。スーパーで簡単に手に入る時代の蜂蜜だからこそ料理などでも積極的に取り入れ、人生百年時代を自立して生き生きと過ごさせてもらっているのである。

 

(完)

 

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